今日の朝日新聞のbe Reportで、ネトゲのRMT問題が取り上げられていました。
冒頭に踊っていたのは、癌の戸枝事件のこと。 やはり業界を騒然とさせた事件だけに、トップに来るのはこれだったようで。 しかし腹立たしいのは癌社長森下氏の『RMT業者が犯罪を助長している』というコメント。 確かに、それは一面においては決して間違いではないと思う。 だが需要がなければ供給も成り立たないわけで、そして慣習というものは、そこに生きる人々の法規範として、長い年月をかけて成立していく。 ヨーロッパのROのようなGMコールはどうしたのさ? 何年も不正を放置し続けて、『日本のROは不正を野放しにしている』というような状態に何年もしておけば、そりゃもう部屋の掃除をしなければチリやホコリが積もって汚れていくように、不正の規模も肥大化していくでしょうよ。 基本的にユーザがどうにかできるものじゃない。PK制のようなシステムもあるにしても、悪用されるのがオチのようだし(ROウルド鯖はそんな感じと聞く) 運営がしっかりしてくれなければ、ユーザは指をくわえて見ているしかない。 アカハックを喰らった人が、自分の財産を目の前でたたき売りされていくのを、ただ何もできずに見ているだけしかできないように。 長く放置された不正が、もうどうしようもない末期がんのようになってしまったことに、あるいは不正の直接的な被害を受けて、絶望して消えていった仲間たちも多い。 例えば私のいたギルド、Glenfiddichのように。 不正をする側が悪くないなんてことは間違っても言わない。不正は不正として罰せられるべきものであることは間違いない。けれど、一般ユーザの側に立って、ゲーム世界の秩序を公序良俗を維持し守っていく責務を長年放置し続けたくせに、↑のようなコメントはないだろう。 記事では、時間の格差を埋めるためにRMTが横行していると言う。しかし現実には必ずしもそうではないことは、BOTニュースの記事で明らかにされている。 モラルをなくした人々が、より自己を満足させるためにRMTをしていることも多々ある。 むしろまともな一般社会人であれば、不正に手を染めるよりも、自分なりのペースで楽しんでいくものだ。 普通の人間であれば、多くは社会の中で(社会人であれ学生であれ、社会の中で生きている)現実の自分と向き合い、その中でごく普通に生きているはず。 窮屈で、ストレスがたまることもあるだろう。 娯楽とは何かといえば、そういった社会の中の自分とは違う次元にいる、抑圧を脱ぎ捨てた自分のままでいられるものではないかと思う。 それなのにもし、娯楽にまで現実が深く入り込んでいったらどうなるだろう? 現実の格差がそのまま、本来現実とは別の次元にあるべき世界にまで如実に現れるとしたら、それはどんなに色あせて、陳腐化した世界だろうか。 また、ひとつにはROのシステムが古すぎる、というのもあるのかもしれない。 行き着く答えが単純明快、時間を費やしてキャラを育て、敵と戦う。 昔からのプレイヤーであれば、必ず初心者修練所で、『ROとはプレイヤーたちが仲間とともに力をあわせてモンスターと戦っていくゲームだ』と聞くはず。 あるお友達が言っていたけれど、ROには生産要素のような部分が極めて少ないと言っていた。 彼女が以前やっていたUOには、そういった要素が多かったのだという。 戦う、強くなる、対人戦で試合をする。そういったあり方もひとつだろう、対人戦の無数の楽しみというのは、やはり他には変えがたいものであることは否めない。 しかし、強さだとか、勝ち負けだとか、そういった奥が深くはあるが単純な答えだけが全てでいいのだろうか。 マビノギには、MIDIコードを利用した作曲システムがある。 これはプレイヤーがMIDIコードを理解し音楽に通じているという前提が要求されるが、だからこそ非常に画期的なシステムであったろうと思う。 ユーザーたちの声を聞くと、キャラの育成も忘れて作曲活動にいそしんでいた人々も多々ある。 と、こういうたとえをあげてみたが、つまるところ言いたいことはひとつ。 楽しみ方というのは無数にあり、そして答えはひとつではないということ。 人間として社会の中で生きていくのと同様、正解肢なんてものは存在しない。自分が信じたものを貫けたときこそ、そのときそれが結果的に『正解』という形に昇華される。 だから、答えが無数にあるような――そう、ある意味でロマサガ1のように、自由に自分の道を進んでいけるように。いろんな生き方ができるようなシステムであるといいと思う。 マビノギの作曲システムのような、中の人の感性が如実に現れるようなシステムなど、とてもよいのではないか。服を作ったり、絵を描いたり……中の人のスキルが生かされるのはとても面白いと思う。 また、戦闘や対人にしても、中の人のスペックを要求した形が望ましいと思う。 単純作業で積み上げたものが大勢を左右するよりも、面白いのではないか。 もちろんどれだけシステムを多様化しても、不正がはびこっていたらしょうがない。 不正に対して直接、そしてもっとも早く触れるのはユーザーなのだし、ユーザーと運営の連携ができるような不正対策があってもいいのではないかと思う。まあそのためのGMコールなのだけどJROでは以下略。 韓国では近々RMTが法規制化するという。RMTを賭博に準じたものと定義するようだ。 ふと今日の記事の話を父にしてみたら、仮想通貨を現実通貨とトレードできるというシステムは賭博行為だと感じるらしい。ゲームに疎い一般人がこう感じるのだから、RMTはやはり賭博的な要素が多分に含まれている行為なのだろう。 わが国ではどうかといえば、RMTそのものは基本的に違法ではない。なぜなら明確な法規範が存在しないから。 ゲーム通貨、というかゲームデータが財産であるか否か。これを是とするなら、電子計算機等損壊罪のような法律に問えるし、不正アクセス禁止法のようなものもあるにはある。が、これらは罰則規定が非常に安いため、あまり抑止力にはなっていないようだ。 まあそもそもゲームデータが財産であるか否かという議論があるなら運営会社がゲームデータを売買する(いわゆる公式RMT)自体どうなのよ、と思うわけだが。仮にゲームデータが財産でないと否定する立場に立つのであれば、運営会社の公式RMTもおかしいわけで。だからこそ、運営会社がRMTの法規制化に消極的であるという見方もある。 もっともこの辺の議論は、海外ではゲームデータを財産と肯定する判例があったはずだけれど。 朝日新聞のコラム記事の締めくくりには、『明日の価値が保証されない代物にお金かけるんですか』という意見が上っている。 理屈はそうだ。現に日々BANされ回収されていくゲーム通貨を見れば、所詮運営会社が指先ひとつひねれば全ては泡沫の夢のようなものであったと思わされる。 だがしかし。 現実には、少なくともこれまでの数年間は、不正が放置され続けたことにより、結果的に明日の価値が保証されてしまってきた。だからこそこれほどまで不正が横行しているのだろう。 大事なのは、不正は所詮幻と同じだということを思い知らせて、そして規制し続けること。もうひとつ、ユーザーのモラルを取り戻すこと。まずはそこからだ。
by silver-dream
| 2006-11-25 21:47
| 雑記
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