たまには法律的なことを。

何を書こうか迷ったが、大学の講義で思うことがあったのでそれを取り上げてみようと。
今年は比較的楽な科目を取っているのだけれど、そのひとつが法哲学。
今回の題材は『死刑について』でした



みなさんは死刑に賛成だろうか、反対だろうか。

参考までに、日本で意識調査をすると、8割が賛成だそうです。
やはり、遺族を思えば極刑やむなしとか、あるいは天罰だ、という意識があるのでしょうか。

私自身の見解はひとまずおき、講義の内容をば。

この題材については、先週と今週の2週がかりで行われました。
先週は死刑を肯定する意見、今週は死刑に反対する意見。

前者においては、アメリカのある家族が取り上げられました。
いわく、ほんの数分前まで電話で楽しそうにしていた娘が、強盗の巻き添えにあって射殺された。父親は駆けつけた後発狂して自分の服を八つ裂きにした。母親も現場に駆けつけて悲嘆にくれていた。
犯人はいわゆる電波とでも言えばいいのだろうか。憎悪があったわけでもない。ただ自然に、電波のようなものを受信して強盗をし、そして本件被害者(娘さん)を殺害したのだという。
裁判にかけられ、犯人は死刑を宣告された。

突然の悲惨な災難により、この家族はずたぼろになったらしい。父親は精神的におかしくなり、母親もかなり危険なほうにいっていたらしい(それでも取材に応じるぐらいの正気はあったようだ)が、死刑の執行後、この家族は驚くほど立ち直ったらしい。

犯人の死刑は、犯罪遺族の会のメンバー(本件の遺族含)、犯人の弁護人、神父が立会い、その下で執行された。薬殺だった。医学的だ、と弁護人は話していた。

弁護人はこのときが初めての死刑の立会いだったらしい。それまでは何も気にせず法廷に立ってきたが、その犯人の死刑を見たとき、これでよいのか、という考えが胸に起こったらしい。
神父は言う。犯人は世間では決して許されないだろうが、犯人が神父に対して話したこと━━電波を受信して凶行に及んだことや遺族への謝罪の言葉、そして━━自分は死ぬべきだという彼のことを私は忘れない、と。
そして最後に━━被害者の母親はこう語った。『(犯人が)死んですっきりした』と。
そんな言葉の出る自身へ戸惑いもあったようだが、その思いは変わらないという。犯人が死刑になり、それを見届けたことで無念が晴れ、立ち直れた、と。
人が人の死を目の当たりにして、『すっきりした』という言葉を言う。こんなことは、犯罪者と同じぐらいその人もまた精神が死んでしまっている、と講義の受講生の一人が言った。


それに対し、後者では二つのケースが上げられた。
片方はあるアメリカの父娘。ちょうど死刑について議論していたのだという。その父親は娘に『私が殺害されても、私はその犯人に死刑を望まない。善を見出すのだ』と語ったらしい。
直後、彼は犯人の凶刃に倒れることになるのだが。24斬という恐ろしく残忍な犯行だった。
娘のほうも無事ではなかった。頭をかち割られたのだ。その傷跡の写真はとても痛々しかった。
娘のほうは生き延び━━そして、父親の教えを守り、どう考えても死刑になるはずの犯人を死刑から救うべく活動をしたそうだ。

もう片方は、日本の事件。トラック運転手が土手に突っ込み死亡した。事故と処理された。
が、1年後実はそれが被害者の勤める会社の社長が仕組んだ保険金殺人であったことがわかる。その社長は、被害者の葬式にも出て、遺族に親身になって接したのだという。
そのことが発覚した以降、被害者の兄A氏は激しく犯人を憎み、家庭環境も悪化してしまう。
法廷において犯人は死刑を宣告、上告棄却により刑が確定した。
犯人はずっと遺族に手紙を送り続けたらしい。A氏はそれをずっと捨てていたが、再三送られてくるので気遣いと好奇心から開封した。
その手紙は謝罪の言葉から始まり、誠実で謙虚な言葉でいっぱいだったという。
それ以来、遺族と加害者の文通が始まったのだという。その手紙は100通にのぼった。
やがてA氏は加害者に対して面会を申し出た。そして当たり障りのない何気ない会話をした。目の前の加害者は殺人鬼ではなく、ただの普通の男に見えたという。
『許したつもりも許すこともない。これからも償いをしてほしい』と語った。
やがて遺族は加害者の死刑を取り消そうと活動する。死刑廃止運動にも参加したそうだ。が、『遺族の立場になれ』という罵声や無言電話もきたらしい。
その活動は届くことなく、加害者は死刑を執行されてしまった。
A氏は『この死刑は何を意味しているのか? 生きているからこそ罪の償いもできる、謝罪もできる。死刑は遺族への謝罪ではないのだ』と語った。


同じ遺族であっても、こうした見解の相違がある。これはとても重要なことだと思う。
もっともそれ以前に、われわれ周囲はチープな感情論や思い込みから無責任に当事者にあれこれというべきではないと思う。↑のA氏の例だと、無言電話だ罵声だは人殺しと同じぐらい心無い愚か者のすることだ。
『遺族は必ず報復を望む』という周りの固定観念・思い込みこそが一番危険ではないだろうか。

刑法は正義のためでも被害者のためあるのでもない。社会秩序の維持が目的である。
法を犯せばこのような罰がある、と抑止力をかけることで法益を守る。万一法が犯されれば宣言どおりの制裁を加える。

死刑は賛成か反対か、とても難しい問題だと思う。
自分がそんな目にあったわけではないから遺族の感情というものをはっきりと把握できない。だからその悲しみや憎しみの深さは知る由もなく、それなのに賛成か反対かを語るのは難しい。もしも自分にその災難が降りかかれば、『死刑然り!』と叫ぶかもしれない。
客観的に見るならば、社会秩序の維持のために極刑もやむをえないかもしれない。後はその国の宗教や慣習からくる倫理ではないだろうか。

私は明確に賛成か反対か、とそう言う意見は出さない。が、基本的には反対に近いのかもしれない。私の基本的な理念として、『許すことこそ大事なのだ』という考えがある。傷つけた、だからやり返す、そんな憎悪のリフレインが続いたとして、後に何が残るのか。もちろん滅することですっきり晴れ渡るような↑の事例もある。が、傷つけあい憎しみあうよりは……そんな居心地悪い世界より、許しあい許容することで、それで連鎖を食い止めたいと思う。

もちろん世の中には死すべき人間もいるだろうと思う。また、人は人を騙す。だからこそ一概には言えないけれど、生きて、交わることで決着をつけられるならそのほうが良いと思う。

刑法は罪刑法定主義を採用している。すなわち、法律なくして刑罰なし。戦前の刑罰の濫用のような事態を防ぐためだ。そして、法律に規定されている以上に量刑を変えることはできない。
裁きは裁判所が下すものだが、その判決に遺族の意向が関与しても良いのではないだろうかと思う。法が守るべきは社会秩序だけなく、遺族とて守らねばならない対象のはず。遺族の望む断罪を以て決着をつけても良いのではないだろうか。


私信:名無し
講義内容自信ないから訂正あったら突っ込みPlz
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by silver-dream | 2005-05-17 03:27 | 雑記
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